安楽寺
浄土真宗本願寺派   千葉山安楽寺

企画 京都新聞社  制作 広告局計画部
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世界遺産  WORLD HERITAGE
「古都京都の文化財(京都市・宇治市・大津市)」
連続フォーラム
  於ける西本願寺  1997/6/16 平成9年
講演要旨 寺社・武家に保護された芸能
  •  能の起源と申しますのは、奈良時代に中国から伝えられた散楽(さんがく) という芸能だといわれております。唐の都ではやっておった掛け合いの漫才 のようなものや、手品、曲芸などいろいろな大道芸能が日本へ入ってきたわけです。

  •  そして雅楽(ががく)などの公の芸能とは違って町の人々が楽しむための ものとして発展し、お寺や神社などの門前で演じられておりました。

    そのうちに一つのまとまった芝居としての筋書きが出来て猿楽(さるがく) という名前になり、またお寺やお宮さんの宗教行事のなかに入れていただく ようになりました。

  •  室町の初期には各地で猿楽座ができ、能と狂言の両方合わせて演じて おったようです。

    なかでも奈良大和の一座である観阿弥・世阿弥父子が大変な人気で、 その評判があまりに高いので京都の今熊野で開かれた勧進能を将軍の足利義満公が お忍びで見物にいかれまして、ことに息子の世阿弥の容姿や美しい芸に非常に感激 されるわけです。

    それで一座は幕府に抱えられ、武士がたしなみ観賞する芸能は猿楽 である、ということになり以後ずっと武家の保護が続いてまいります。

  •  そして次第に猿楽は、歌や舞を中心としたものは能、笑いの要素が極められて 台詞(せりふ)が中心になっていったほうが能狂言あるいは狂言というように、 分けられていきます。徳川時代になりますと、能と狂言は幕府の式楽にまでなります。

    ただ、そのために京都におりました能楽師、狂言師はほとんど江戸へ移ってしまいました。 しかし、京都に残った家もありまして、そのなかの一軒が私どもの茂山家です。 それから能の金剛家と片山家、この三軒がその時分からずっと京都に残って能や狂言 を続けている家です。

  •  京都に残りました私の家のことを少し申しますと、本願寺さんやいろいろな寺や お宮さんに奉仕させてもらうと同時に、御所のお出入りの狂言師になりました。

    明治維新まで御所で狂言をさせていただいたのです。けれどもなにぶん御所の お出入りだけではなかなか暮らしていけないということで、禁裏御用の手鏡を 作る鏡師という商売をすると同時に狂言のお勤めをさせていただいていたわけです。

  •  それがひょんなことから、彦根藩の井伊家のお抱えの狂言師になったのです。 私の家では父親が亡くなって息子が跡を継ぐときには、江戸の家元のところで 何年か修行をした後に京都に帰ってきます。それから何年か経つと、 お礼奉公のような形で江戸へ修行をし直しにいくのです。

  •  ある時江戸城で大きな能の催しがありまして、私どもの大蔵流の長老が 「枕物狂(まくらものぐるい)」という非常に難しい狂言を演じておりました。 これは百歳のおじいさんが16、7歳の娘に懸想していろいろ奔走(ほんそう) するのですが、ひじ鉄砲ばかりくわされるので娘さんの枕を抱いて恋狂いをしている。 それを孫が聞きつけて老いのなぐさめにかなえてあげましょうという狂言です。

    その舞台の最中に、長老がひっくり返って亡くなってしまわれたのです。そのときに、 私の曽祖父にあたる茂山千五郎という人が後見をしておられました。後見という役は、 当日のシテの世話をいっさいやります。

    そしてシテの衣装をつけ、シテが舞台へ出ましたら後見座に座って、 もしシテに事故があったときにはただちに代役を務めるという大事な役目 でございます。シテが倒れたので、千五郎はすぐに舞台へ出て見事に舞った。

    それをたまたまごらんになった時の井伊大老、掃部頭(かもんのかみ) が感心されまして、彦根藩に召し抱えられるようになったと聞いております。 この千五郎が隠居して初代の茂山千作を名乗るわけです。

  •  ここ本願寺の能舞台は、私も子どもの時分から毎年、狂言の奉納をさせて いただいております。今では親鸞聖人のお誕生日である降誕会(ごうたんえ) のときには、ここで必ず狂言をさせていただいております。この能舞台は、 狂言をやりやすい非常にいい舞台です。

    私どもも、こうした文化遺産を使わせて いただくご縁を大事にして、ますます芸の道に精進してまいりたいと思います。 また、今回のように市民の方々に少しでも文化財の価値をご理解いただけるような 機会が増えれば、こんなにうれしいことはないと考えております。

    講師の紹介
    大蔵流狂言師 茂山千作氏(しげやま せんさく)
    大正8年京都市生まれ。5歳で初舞台に立ち、昭和41年に12世千五郎襲名、 平成6年に4世千作襲名。
    紫綬褒章・勲四等旭日小授章を授章。京都市文化功労者。 日本芸術院会員。重要無形文化財保持者(人間国宝)。
    注:
    式楽:儀式に用いる楽。主として江戸幕府における能楽を指す

    HTML作成:平成11(1999)年8月 安楽寺
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